当たり前を疑う
- curefukayamethod
- 2020年9月26日
- 読了時間: 3分
おはこんばんちは
六本木のCFMです
命の危険が身近に当たり前の様に居座る今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか
コロナウィルスの脅威にさらされても、以前の生活を当たり前と思って続けてしまう人も多いみたいですね
このブログのいたるところに
「当たり前と思っていることが当たり前ではない」
的な内容の文章が結構あります
お時間と気力に余裕がある方は是非とも探してご一読いただきたいです
さて、今回の題目であります「当たり前」なんですが、確たる情報を基に「当たり前」と言っている分には問題ないです
しかし、世の中確実な事なんてそうそう存在しません
「不確実でありながらも、大多数もしくは少数でも、さも当たり前のように振る舞うことによって、それが確実なものと錯覚してしまう」
ほとんどの事がこのような条件での「当たり前」となっているのではないでしょうか?
もしくは、どこぞの柿ピーのように、あたかもそれでなくてはならないかのような思い込み・・・これは長年それでやってきていると起こりやすいですね
実際はそうでなくてもいいことなのに「これが当たり前」って実は身の回りにたくさんあります
特に予備知識が無いと分からないような専門的な分野では、それが妥当なのかどうかさえ分かりにくいですよね
例えば建築関係
悪徳な業者が後を絶たない現実があります
それは一般人に建築関係の知識を持った人が限られているから、そんな業者がのさばる余地が出てきます
みんなが専門的な知識を持つってのも現実的じゃないですしね
しかし、建築関係は分かる人が見れば一目瞭然で、悪いものを悪いと言えるだけまだマシかもしれません
医療系の分野では扱う対象が人の身体なので、解明されていることの方が少ないと言っても過言ではありません
そんな条件だと、対応する内容(治療だったり施術)は害をなすようなことが無ければ、効果が有ろうと無かろうと問題にはならないんです
そしてそれが日本の医療の「当たり前」なんです
もちろんみんな使命感を持ってやっていますので、好きで効果を上げていない訳ではないんです
ただ、効果が上がらなくても逃げ道は存在します
まぁ医療人を責める訳ではないので、そこは置いておいて
私が言いたいのは
分からないものに対応する場合まず仮説を立てます
分からないままの時間が長いと、その仮説で対応するのが「当たり前」になる訳です
仮説は実績を踏まえて考えを進めていかなければいけないのに、当たり前に乗っかって努力を怠っている部分があるということです
そしてその定着してしまった当たり前を是正するのは大変だということ
随分愚痴ってしまいましたが、相変わらず施術を続けて、効果を認識してくれる方を増やすのみです
でも気持ちが折れるとまた別業種に流れてしまうかもしれません
皆様どうか応援してください
六本木のCFMでした
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